久万高原の思い出

私たち子どもたちに明るい未来をNETの
フィールドワークのベース基地になりつつある久万高原ですが
代表井上にとっては、子供のころ、父と歩いた思い出がいっぱい詰まった場所です。

下段に2003年9月4日の日記を転載します。

また、私が子どもたちを連れて行った森も久万高原の森です。
子どもたちは大きくなるにつれて、自然から遠ざかり
人工物や機械に夢中になりましたが、大きくなった子どもたちの自然を愛する心を
再び取り戻すきっかけになったのも、久万高原の自然でした。

松山インターから車で40分、トンネルが抜けたので30分で行ける
本物の自然があります。

今年もまた、久万高原での魅力的な自然体験学習などを計画しています。
なぜ、いつも久万高原?といわれますが
私たちの思いを受け入れ、惜しみない協力をしてくれる町でもあります。

久万高原の森の中で、私はいつも父と一緒です。
そして小さい頃の子どもたちの姿も。

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日記 2003年9月4日 古岩屋寺

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小さい頃から、よく父とここへ来ました。
父に手を引かれて歩いた小さな山道が今では途中まで舗装道になっていました。
小さな橋を渡ると川べりの祠を通って、流れを間近に見ながらまた
もとの道に戻る脇道があります。沢に下りるその道が好きで、一人走って降り、
合流点で待っている父のところへ走って戻ったりしていました。

私が大きくなると、父は好きな写真を撮ることを楽しみにカメラを持って出かけ、
私は川に下りたり、鳥の声を聞いたりするのを楽しみに一緒に出かけました。
学生時代を親元から離れて暮らしていたので、帰省の度に父は
古岩屋寺に行こう、五段高原に行こう、と楽しみにしていました。
その頃には、少し興味が薄れてきていましたが、父をがっかりさせたくないと
楽しそうに同行しました。でも現地でそこに立つと、緑に包まれてとても
気持ちが良く、やっぱり来てよかったなあ、と思っていました。

国民宿舎古岩屋荘で実施するイベントの打ち合わせに
本当に久しぶりにここへやってきました。
打ち合わせが終わって、父と歩いた沢に下りて見ました。
見上げると、父が立って待っていたあたりには、木漏れ日がさしていて
でも、誰もいませんでした。あ、居ないんだ・・・と思ったとたん
泣きたいくらい、あの日に帰りたくなりました。
今父は病院に居ます。そしていつか、どこを探しても居なくなる日がやってくるでしょう。
大人になって、私の周りには、家族や友達や、大勢の支えてくれる人たちがいて、
父と別れる準備が出来ていますが
親を亡くす小さな子供たちが世界中にたくさん居るということを思うと胸が痛くなり、
自分に何ができるだろうか、と考えました。

井上

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