古佐小基史さん
11月のイベントにご出演いただく、古佐小基史さんのご実家にチラシを届けてきました。
11時ごろお伺いする、とは伝えていましたが、どうもご両親が外でお待ちくださっていた様子でした。
そして、ご挨拶をしようとすると、
「基史から、お話を伺っています。いつもお世話になり、ありがとうございます。」
と、ご両親揃って深々と頭を下げられるのです。
こちらとしては、アメリカで実力が認められて活動をされている著名な方に
ご参加いただくだけで、有難く思っているのに、
このようにお礼を言っていただいて恐縮してしまいました。
そして、「子どもを愛し、可愛がる」という美しいご両親の姿勢を拝見して
自分はまだ親を必要とする子育て中なのに、こんなに出来ていないことに
改めて気づいて反省させられました。
そんなご両親の愛をいっぱいに受けて伸び伸びと素直に育たれた古佐小基史さんは
今回のイベントでも、ハープの演奏だけでも十分なのに、
同じステージに立つ稲本正さんについて勉強され、尊敬の念を持ち、
楽しみにしてくださっているようです。
そして、会の運びにまでご意見をくださり、ほぼ私の希望と一致していたので
当日の進行は古佐小さんにお任せしようと思っています。
当日のプログラムに載せるメッセージもお願いしたのですが
以下のような、長文の力のこもったメッセージが届き、感激して拝見しました。
が・・・・一般の人が、会場で見るには、分量がやや多いので
もう少しコンパクトに修正をお願いしようと思っています。
とてもいい文章なので、こちらに掲載させていただきます。
是非ご覧ください。
井上
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『生きとし生けるものすべてを含む世界においては、自然に存在するすべての現象は客観的な存在意義を持っていますが、人類という一種族の生存にとっては、脅威、つまり存在しない方が都合の良い現象もたくさん含まれています。人類がこの地上で雨露をしのぎ、暖をとり、水と食物を得て、身の安全を守り、人間らしい感情生活を営む余裕を持つためには、複数の人による共同体の形成が不可欠です。現代社会では、この共同体が成熟し、自然の直接的な影響に対する緩衝壁として人類を自然の厳しさから守ることに成功したと同時に、自然からの有益な恩恵を遮断し多くの人類を人工的な環境の中に隔離することにもなりました。また、社会が余りにも複雑化・巨大化し、個人を取り巻く環境の大部分が人造物と人間関係に起因するものとなり、自然の中で必然的に存在する苦しみではなく、自然の脅威から人類を守るべき共同体自体によって生み出される苦しみにさいなまれ、こころ、からだを病む人が増え続けています。
このように、日常生活が自然の営みから遠く切り離され自然の厳しさと恩恵を肌身を持って感じることの難しい現代生活においては、最も身近な自然としてのその人自身の生身の存在、つまり心とからだを十分に経験することは、小さな自然環境(ミクロコスモス)である自己が大きな自然環境(マクロコスモス)との調和の中で存在していることを意識するためのステップとして不可欠であると感じています。
音楽は、音楽家が自己の内部の自然を探索し、それを音として表現するために知性、感情、肉体という自己の「自然環境」をバランス良く整える作業の結果として表われ出るものです。音楽は人工的な音印象ですが、音楽家自身が自然の一部として存在できるならば、夕日の美しさや川のせせらぎのような純粋で普遍的な美を、音楽として生み出すことが可能であると思っています。
外的な自然環境から遠く離れた大都会での生活を営む現代社会においては、音楽を通じて自己の内的な自然と向かい合う機会を持つことは、人間らしさを保つ上で大切だと思います。自然の中で自然とともに生きる稲本正さんのお話と、自然に近いところで暮らす音楽家、古佐小基史のハープ演奏で、自然とのつながりに思いをはせるひと時をお過ごしいただけることを願っております。』
井上